18世紀

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18世紀の出来事


1701元禄13庚辰12月06日

徳川光圀歿

1701元禄14辛巳03月14日

江戸城松の廊下で赤穂藩主・浅野長矩が高家・吉良義央に刃傷。長矩は即日切腹。赤穂事件(忠臣蔵)の発端

1701元禄14辛巳04月19日

赤穂城明け渡し

1701元禄14辛巳12月17日

慶仁親王(中御門天皇)生誕 。

1703元禄16癸未02月04日

江戸幕府が赤穂浪士46名に切腹を命じる

1703元禄16癸未03月07日

一宮巡りを始めて行った神道家橘三喜没(69)

1703元禄16癸未05月07日

大坂・竹本座で近松門左衞門作の人形浄瑠璃『曽根崎心中』が初演

1703元禄16癸未11月23日

元禄大地震。房総半島沖震源(M8.5)。東海道が全滅。

1704宝永元甲申0313

前年11月の元禄大地震により、元禄から宝永に改元元号一覧に戻る

1707宝永04丁亥

牧野成央家督相続
1707宝永04丁亥07月12日 長野・善光寺の大伽藍が完成
1707宝永04丁亥08月11日 「生類憐みの令」により、どじょう・うなぎ・鳥を扱う商売が禁止に
1707宝永04丁亥10月04日 豊後地震。府内の天主、櫓、石垣、家中屋敷、町屋などが大破(藩史大事典) 理科年表によればM8.6五畿七道
地震 死者2万人とある。49日後の11月23日に富士山大噴火が開始。
1707宝永04丁亥11月23日 富士山の噴火が始る

1707宝永04丁亥年12月08日

富士山の噴火が終る

1708宝永05戊子02月16日

慶仁親王(中御門天皇)が立太子

1709宝永06己丑01月20日

江戸幕府将軍徳川綱吉の死後10日目で「生類憐れみの令」が廃止

1709宝永06己丑03月21日

現存東大寺大仏殿の落慶法要

1709宝永06己丑06月21日

第113代東山天皇が退位 し、慶仁親王が第114代中御門天皇として即位

1709宝永06己丑12月17日

第113代東山天皇崩御 35歳

1711正徳元辛卯04月25日

中御門天皇の即位に伴い正徳[しょうとく/しやうとく]に改元元号一覧に戻る

1711正徳元辛卯1107

万石騒動。安房・北條藩27村の農民が年貢加増に反対し江戸に強訴。翌年領主・屋代忠位が所領没収に
1712正徳02壬辰10月14日 6代将軍徳川家宣死去
1712正徳02壬辰1210 内藤義孝(44)歿 内藤家07代当主

1715正徳05乙未0914

銅商大坂屋久左衛門清浚(3代)没。大坂屋甚之烝清胤が家督を相続

1716正徳06丙申0622

将軍家継死去のため享保に改元元号一覧に戻る

1716享保01丙申0813

紀州藩主・徳川吉宗が江戸幕府8代将軍となる

1716享保01丙申1004

朱子学者・新井白石が自叙伝『折たく柴の記』を起筆
1717享保02丁酉0203 徳川吉宗が普請奉行・大岡忠相を江戸南町奉行に抜擢。官職名を越前守に改める
1719享保04己亥0727 田沼意次生誕。(江戸幕府老中)[1788年歿]
1720享保05庚子0101 照仁(桜町天皇)生誕
1720享保05庚子0806 江戸幕府が江戸町火消を「いろは47組」に再編成
1721享保06辛丑0802 徳川吉宗の命で江戸・評定所の門前に目安箱を設置
1722享保07壬寅1204 江戸幕府が江戸の小石川薬園内に養生所を開設
1723享保08癸卯0220 江戸幕府が男女の情死に厳しい規制。心中者の弔いを禁止、生き残りは殺人罪。心中事件を扱った狂言等の上
演・出版も禁止
1723享保08癸卯0405 大坂屋4代目甚之烝清胤(27)死去 5代目に吉之助が家督を相続
1723享保08癸卯0423 江戸幕府が、盗難捜索のため、江戸の質屋、古着屋、古鉄屋に組合結成を義務付け。
1723享保08癸卯0815 江戸幕府が江戸市中に火の見櫓の設置令を発布

1723享保08癸卯

大坂屋甚之烝清胤(4代)没

1724享保09甲辰0717

大坂屋五代目清達歿 次男永次郎が家督相続

1725享保10乙巳05月19日

新井白石歿(69歳)

1726享保11丙午

京都伏見の大文字屋が大坂心斎橋に「松屋」を開き現金正札販売を始める。現大丸の前身である。

1726享保11丙午12月07日

江戸幕府が、江戸市中の辻駕籠3千挺の制限を撤廃

1728享保13戊申年06月11日

照仁(桜町天皇)立太子

1728年_享保13戊申年

平賀源内生誕

1732享保17壬子年?月?日

叡福寺(聖徳太子御廟守護寺)の金堂を再建

1732享保17壬子年08月06日

霊元天皇崩御。(識仁親王, 高貴宮)(天皇(112代))<数え79歳>

1733享保18癸丑年05月28日

両国川開きで初の花火打上げ

1735享保20年乙卯03月21日

第114代中御門天皇が退位 し、照仁親王が第115代桜町天皇として即位

1736元文01年丙辰04月28日

桜町天皇の践祚に伴い享保から元文[げんぶん]に改元。

1737元文02丁巳年04月11日

第114代中御門天皇崩御 37歳

1740元文05庚申年08月03日

緋宮智子内親王生誕(後櫻町天皇

1741寛保01辛酉年02月27日

元文から寛保(かんぽう)に改元。(元号一覧に戻る)

1741寛保01辛酉年02月29日

遐仁(桃園天皇)生誕

1744寛保04甲子年01月19日

江戸幕府が、偽虚無僧の取締令を発布

1744寛保04甲子02月21日

寛保から延享(えんきょう)に改元

1746延享03丙寅年

銅商大坂屋が四国の立川銅山を住友に売却。前年の2万両に及ぶ赤字補填のためと思われる。

1747延享04丁卯03月16日

遐仁(桃園天皇)が立太子
1747延享04丁卯03月19日 内藤政樹(42)が延岡移封を仰付らる

1747延享04丁卯05月02日

第115代桜町天皇が退位 し、遐仁が第116代桃園天皇として即位

1748延享05戊辰07月12日

延享から寛延(かんえん)に改元。1751年に宝暦に改元
1750寛延03庚午04月23日 第115代桜町天皇崩御 31歳

1751宝暦01辛未年10月27日

寛延から宝暦(ほうれき)に改元
1758宝暦08戊寅07月02日 英仁(後桃園天皇)生誕
1758宝暦08戊刁09月03日 江戸幕府9代将軍徳川家重の側用人・田沼意次が、加増で1万石の大名になり幕閣入り
1759宝暦09己卯
1760宝暦10庚辰

1761宝暦11辛巳


1762宝暦12壬午0712 第116代桃園天皇崩御 22歳
1762宝暦12壬午0727 智子内親王が第117代後桜町天皇として即位
1763宝暦13癸未
1764明和元甲申10月 民間所有であった北方の曽木、土々呂銅山、目平銅山を藩営として借り上げる。

1764明和元甲申0602

宝暦から明和(めいわ)に改元

1764明和元甲申1217

伝馬騒動。人馬不足時に補助をするよう指定される「助郷」の増設に反対する信濃・上野などの農民数万人が蜂
起。幕府は助郷増設を中止
1767明和04丁亥0701 徳川家治が田沼意次を側用人とする
1768明和05戊子0219 英仁親王(後桃園天皇)立太子

1769明和06己丑0818

江戸幕府10代将軍徳川家治の側用人・田沼意次が老中格に就任
1770明和07庚寅0705 大坂屋六代目智清(50)死去
1770明和07庚寅1124 第117代後桜町天皇が退位 し、英仁親王が第118代後桃園天皇として即位
1771明和08辛卯0815 兼仁(光格天皇)生誕
1772安永元壬辰1116 明和から安永(あんえい)に改元
1773安永02癸巳 秋田藩は平賀源内と吉田利兵衛の二人を招き銀絞りを試みる。
1779安永08己亥10月29日 第118代後桃園天皇崩御
1779安永08己亥11月21日 平賀源内が門弟2人の誤殺容疑で投獄
1779安永08己亥11月25日 兼仁親王が第119代光格天皇として即位
1780安永08己亥年12月18日 平賀源内歿
1774年_安永03甲午年 南蛮吹は当時幕府の統制化にあったが、秋田藩は秘密裏に平賀源内を招き銀抽出を試みるが失敗、江戸藩邸
御用人太田伊太夫を通じて大坂屋に協力を要請。加護山に銀絞所を創業。。(豪商大阪屋久左衛門HP)
1781天明元辛丑04月02日 安永から天明(てんめい)に改元
1781天明01辛丑閏05月21日 内藤家10代内藤政陽(43)が死去
1783天明03癸卯07月06日 浅間山が大噴火。死者約2万人
1783天明03癸卯年12月16日

天明の大飢饉の為、江戸幕府が翌年から7年間の検約令を布告

1786天明06丙午年05月05日

江戸幕府の命を受けた最上徳内が日本人として初めて択捉島に上陸

1787天明07丁未06月19日

松平定信が老中首座となり幕府財政の建て直しなどの「寛政の改革」に着手

1787天明07丁未07月23日

二宮尊徳(金次郎)生誕。

1789寛政01己酉 伊勢神宮第51回式年遷宮 籾種石が積まれる。
1789寛政01己酉正月25日

天明から寛政(かんせい)に改元

1789寛政01己酉09月16日

江戸幕府が旗本・御家人救済の為に「棄捐令」を発布。札差の借金を破毀・年賦返済

1790寛政02庚戌年05月24日

寛政異学の禁。老中主座・松平定信が朱子学以外の学問を異学として湯島聖堂での教授を禁止

1790寛政02庚戌07月21日

浦上一番崩れ。肥前国浦上村の村民19人がキリシタンとして初めて検挙

1790寛政02庚戌08月20日 延岡藩主3代内藤政陽が隠居、養子の4代政韶が継承する
1791寛政03庚戌年

大和名所圖會が発行される

1792寛政04壬子02月10日

雲仙岳の主峰・普賢岳が噴火

1795寛政07乙卯07月17日

圓山應擧歿(画家)<数え63歳>

1800寛政12庚申0221 恵仁(仁孝天皇)生誕
1800寛政12庚申閏04月19日 伊能忠敬が蝦夷地測量のため江戸を出発