08世紀

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08世紀の出来事
0701文武天皇05辛丑
流刑されていた役小角が戻される。
この年、雲心寺(観心寺)を開く
0701文武天皇05辛丑
首(聖武天皇)生誕
0701文武天皇05辛丑03月21日
対馬からの金の献上により朱鳥から大寶(大宝)に改元。
この日、官名と位号の制度を改正
0701大宝01辛丑03月26日
丹波国では3日間連続で地震が続いた。
0701大宝01辛丑04月01日
日食
0701大宝01辛丑08月03日
藤原不比等らによる「大宝律令」の編纂が完了
0702大宝02壬寅02月01日
前年に制定された「大宝律令」を諸国に頒布
0702大宝02壬寅03月05日
因幡、伯耆、隠岐に蝗の被害
0702大宝02壬寅06月07日
上野国に疫病発生
0702大宝02壬寅06月28日
藤原京の12門の一つ海犬飼門に落雷
0702大宝02壬寅12月22日
持統天皇崩御({盧鳥}野讚良皇女, 高天原廣野姫尊)(天皇(41代), 天武天皇の皇后)<数え58歳>
0703大宝03癸卯10月
持統上皇葬送の儀
0703大宝03癸卯12月26日
持統天皇を天武陵に合葬する。
0704大宝04甲辰05月10日
雲の瑞祥により慶雲に改元
0704慶雲01甲辰
伊勢、伊賀の二国に蝗の被害
0705慶雲02乙巳09月15日
膳広国(かしわでのひろくに)という豊前国京都郡の郡庁次官がこの日突然死する。3日後の17日に生き返っ
た。詳しくは17日の項参照。
0705慶雲02乙巳09月17日
3日前に死んだはずの膳広国(かしわでのひろくに)が生き返った。
話によれば、使者に連れられ大河を渡り・・・黄金の宮殿で閻魔大王に会い、死んだ先妻や、父と会う・・・・さら
に迷っていると子供が現れ門へ導き生き返った。

その子供こそ彼が幼い頃書写した観音経だったという。
0707慶雲04丁未06月15日
第42代文武天皇崩御(25歳)
0707慶雲04丁未07月17日
天智天皇の第四皇女・阿閇皇女が即位し第43代天皇・元明天皇
0707慶雲04丁未11月20日
文武天皇を檜隈安古山陵に葬る
0708慶雲05戊申01月11日
武蔵国秩父郡から朝廷に銅が献上されたことを記念して慶雲から和銅に改元(元号一覧
0708和銅01戊申02月15日
元明天皇が平城京造営の詔を布告
0708和銅01戊申05月11日
銀銭「和同開珎」を鋳造。日本初の国産貨幣
0708和銅01戊申08月10日
銅銭「和同開珎」を発行
0708和銅01戊申09月30日
造平城京司任命。
阿倍宿奈麻呂(あべのすくなまろ)、多治比池守(たじひのいけもり)の二人を造平城京司長官に、中臣人足(な
かとみのひとたり)、小野広人(おののひろひと)、小野馬養(おののうまかい)の三人を次官、坂上忍熊(さかの
うえのおしくま)を大匠(おおだくみ、技術上の責任者)以下数名を任命する。
0708和銅01戊申10月02日
平城京を造営、遷都することを伊勢神宮に報告
0708和銅01戊申12月05日
平城京造営地鎮祭実施
0709和銅02己酉06月09日
上総、越中に疫病流行。
0709和銅02己酉10月13日
白壁王生誕。後の光仁天皇
0710和銅03庚戌02月11日
信濃国で疫病がはやる。
0710和銅03庚戌03月10日
元明天皇が藤原京から平城京に都を移す。748年まで8代の天皇の都となる。
0710和銅03庚戌09月18日
全国の銀銭の使用を禁止
0710和銅03庚戌10月01日
日蝕
0711和銅04辛亥09月18日
元明天皇の詔勅により太安麻呂が『古事記』の編纂に着手
0711和銅04辛亥12月20日
「蓄銭叙位令」布告。銭貨の流通を図る為、貯蓄量に応じて位階を授ける
0712和銅05壬子01月18日
稗田阿礼が誦習していた帝記などを太安万侶が筆録した『古事記』が完成し、元明天皇に献上
0713和銅06癸丑04月03日
丹後・美作・大隅の3国を設置
0713和銅06癸丑05月25日
山背国に乳牛を飼育する戸を50戸指定。 恐らく典薬寮に所属して牛乳や乳製品を朝廷に貢納する乳戸のこと
であるが、このとき乳戸自体が初めて設置されたのかそれとも山背に設置されたのが初めてなのかは明らかで
ない。古代においては牛乳や乳製品も生産され、飲用及び食用にされていた。乳製品としては蘇の存在が知ら
れるが、具体的にどのようなものであったのかは不明である。
0714和銅07甲寅03月13日
出羽国で初めて養蚕を行わせる。
0714和銅07甲寅02月22日
甕原(みかのはら)へ行幸(後の恭仁宮)
0714和銅07甲寅06月25日
首(聖武天皇)立太子
0715和銅08乙卯09月02日
元明天皇が退位して元正天皇が即位。
瑞亀献上により霊亀[れいき]に改元。717年に養老に改元
0716霊亀02丙辰08月11日
白壁王(光仁天皇)の父志貴親王が死去
0717霊亀03丁巳11月17日
元正天皇が行幸して「養老の滝」を命名したことに因み霊亀から養老に改元
0718養老02戊午09月23日
法興寺を平城に移し寺名を元興寺と改める
上右の写真の瓦の一部の色が変わっているのが確認できるだろうか?
この瓦は元興寺が飛鳥の法興寺(飛鳥寺)から移転したときの瓦を含んでいるのだそうだ。
0720養老04庚申05月21日
「日本書記」が完成する。 舎人親王らが『日本書紀』30巻と系図1巻を完成し撰上
0720養老04庚申08月03日
藤原不比等歿(廷臣, 中臣鎌足の子)<数え62歳>
0721養老05辛酉06月26日
信濃に諏訪国が設置される
0721養老05辛酉12月07日
元明天皇崩御(阿閇皇女, 日本根子天津御代豐國成姫天皇)(天皇(43代))<61歳>
0723養老07癸亥07月06日
古事記を編纂した太安萬侶が死亡
0724養老08甲子02月04日
元正天皇が譲位し、首皇子が即位して第45代天皇・聖武天皇となる。
白亀出現の瑞祥により養老から神龜に改元
0724神亀01甲子11月08日
平城京の美観の為、高位の者と富者に瓦葺き丹塗りを許可
0728神亀05戊辰12月27日
聖武天皇が、「金光明経」10巻ずつ計640巻を諸国に与える
0729神亀06己巳02月12日
長屋王が謀叛の疑いで邸宅を包囲され自害
0729神亀06己巳08月05日
「天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により天平[てんぴょう/てんぴやう]に改元。
0729天平01己巳08月10日
藤原不比等の娘・光明子が聖武天皇の妃に。初の皇族以外の皇后 であった。以後、延々と藤原氏の皇后が
続く。
0730天平02庚午
光明皇后が奈良興福寺に五重塔を建立
0731天平03辛未07月25日
大伴旅人薨ず。67歳
0732天平04壬申12月17日
河内国の丹比郡狭山の下の池を築く。
0732天平04壬申12月22日
地震
0733天平05癸酉
大炊(淳仁天皇)生誕
0734天平06甲戌04月07日
大きな地震。家が倒潰し圧死するもの多数。山が壊れ川がふさがり、地割れが方々に起こる。

0735天平07乙亥04月25日

阿倍仲麻呂と唐に渡った吉備真備が帰朝し、持ち帰った書物などを聖武天皇に献上

0735天平07乙亥11月14日

日本書記の編纂者の舎人親王が死去。
日本書紀の編纂については実質的編纂ではなくおそらくは名誉職であったと思われます。
0737天平09丁丑
行基が河内弘川寺で修行
山部皇子(桓武天皇)生誕
0737天平09丁丑03月03日
聖武天皇が、諸国に対し高さ一丈六尺の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ、釈尊)の造営と大般若経(だいはんに
ゃきょう)一部の書写を命ずる
0738天平10戊寅01月13日
阿倍(孝謙天皇)立太子
0740天平12庚辰06月29日
聖武天皇が、国毎に法華経十部の書写とあわせて七重塔一 基の建立を命ず
0740天平12庚辰12月15日
聖武天皇が山背国相楽郡の恭仁 宮へ遷都。難波京遷都まで3年間の都となる

0741天平13辛巳2月14日

聖武天皇が国分寺・国分尼寺建立の詔を出す
0743天平15癸未02月11日
佐渡国を越後国に合併

0743天平15癸未05月27日

「墾田永年私財法」の勅令。開墾した土地の私有を許可
0743天平15癸未10月15日
聖武天皇が東大寺大仏建立の詔を発する
0744天平16乙申02月26日
聖武天皇が恭仁宮から難波宮に遷都

0745天平17乙酉01月21日

民間僧の行基が大僧正となる
0745天平17乙酉5月11日
聖武天皇が都を平城京に戻す
0745天平17乙酉06月05日
天平14年以来廃止になっていた大宰府を復活。
0745天平17乙酉09月17日
聖武天皇が重病に陥る
0745天平17乙酉乙酉
東大寺大仏殿蘆舎那佛の政策を開始。当時は東大寺は金鐘寺と呼ばれていた。
0746天平18丙戌6月21日
大伴家持が越中国使に任命される

0746天平18丙戌10月06日

この日聖武天皇、元正上皇、光明皇后は金鍾寺(後の東大寺)に行幸、盧舎那仏に対し一万五千七百余の灯
火をともす燃灯供養の法要を行わせている。また、夜には数千の僧侶に灯火をかかげて仏像の周囲を三周さ
せ、深夜になって平城宮に戻っている。

おそらく、後の東大寺の大仏の原型の塑像が完成したのではないかとみられている。

0747天平19丁亥09月29日

前年に完成した東大寺大仏の原型を元に、大仏の鋳造を開始
0748天平20戊子04月21日
元正天皇崩御
0749天平21己丑2月22日
陸奥国から日本で初めて産出された黄金が献上される
0749天平21己丑4月14日
陸奥からの黄金献上により天平から天平感宝に改元。同年07月に天平勝宝に改元している。 
0749天平勝宝01己丑07月02日
聖武天皇が退位して、皇太子・阿倍内親王が即位し第46代孝謙天皇に なる。
同時に天平感宝から天平勝宝[てんぴょうしょうほう/てんぴやうしようほう]に改元。

0749天平勝宝元年己丑09月29日

大仏の鋳造終了

0752天平勝宝04壬辰04月09日

奈良・東大寺の蘆舎那仏の開眼供養

0753天平勝宝05癸巳10月29日

鑑真和上が揚州を出発

0753天平勝宝05癸巳12月19日

志那の僧鑑真が6度目の渡航で漸く日本に到着
0753天平勝宝05癸巳12月20日
遣唐副使大伴古麻呂(おおとものこまろ)に伴われ高僧鑑真(がんじん)が薩摩に到着
0754天平勝宝06甲午01月12日
大宰府に到着した鑑真、遣唐副使大伴古麻呂は平城京に鑑真が到着したことを知らせる書状を発した
0754天平勝宝06甲午01月16日
大宰府からの鑑真到着の知らせが都の天皇の元に届いた。
0754天平勝宝06甲午02月04日
唐の高僧・鑑真が奈良の都に入京
0756天平勝宝08丙申05月01日
聖武法皇の病気平癒を願い伊勢神宮に奉幣。この年の全国の租税を免除した。善行による仏のご加護を願っ
たと思われる。
0756天平勝宝08丙申05月02日
聖武天皇崩御 。前日の善行の効果もむなしく、内裏正殿において崩御する。
0756天平勝宝08丙申05月19日
聖武上皇を佐保山陵に葬る
0757天平勝宝09丁酉04月04日
大炊皇子(淳仁天皇)立太子
0757天平勝宝09丁酉08月18日
蚕が「五月八日開下帝釈標知天皇命百年息」の文字を成したことにより天平勝宝九歳から天平宝字[てんぴょう
ほうじ/てんぴやうほうじ]に改元
0758天平宝字02戊戌08月01日
孝謙天皇が退位して舎人親王の第七王子・大炊王が即位し第47代 淳仁天皇となる。
0758天平宝字02戊戌08月18日
蚕が「五月八日開下帝釈標知天皇命百年息」の文字を成したことにより天平宝字[てんぴょうほうじ/てんぴやう
ほうじ]に改元。765年に天平神護に改元
0758天平宝字02戊戌08月25日
恵美押勝(えみのおしかつ、藤原仲麻呂)は、唐の則天武后などの例にならい、主要な政府機関や役職の名称
を唐風に変更させる。
0759天平宝字03己亥08月03日
鑑真が唐律招提寺(後の唐招提寺)を建立
0760天平宝字4庚子3月16日
和同開珎の偽作が出回った為、万年通宝・太平元宝・開基勝宝を鋳造
0764天平宝字08甲辰09月11日
藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱勃発。孝謙上皇の寵臣・道鏡を除こうとする謀叛が発覚
0764天平宝字08甲辰09月20日
藤原仲麻呂(恵美押勝)を追討していた藤原蔵下麻呂(くらじまろ)らはこの日平城京に凱旋。しかし、道鏡法師
が大臣禅師に任ぜらる。
0764天平宝字08甲辰09月22日
恵美押勝によって唐風の名称に変更されていた役職名がもとに戻される
0764天平宝字08甲辰10月09日
藤原仲麻呂の乱に加わったとして淳仁天皇を廃して元孝謙天皇(阿倍)が 第48代稱徳天皇として即位
0764天平宝字08甲辰10月14日
淳仁天皇(淡路廃帝)が淡路島に流される
0765天平宝字09乙巳01月07日
天平宝字から天平神護に改元
0765天平神護01乙巳10月23日
淳仁天皇崩御(大炊王, 淡路廢帝)(天皇(47代))<33歳>
0766天平神護02丙午10月20日
隅寺毘沙門天像から仏舎利出現により道鏡を法王とする。
吉備眞備を右大臣に任命
0766天平神護02丙午10月22日
淡路の淡路の帝(淳仁天皇)は幽閉先から逃亡を図る

0767神護景雲01丁未04月14日

東院の玉殿完成。
 この日新たに平城宮東院の玉殿(ぎょくでん)が完成し、群臣が参会して完成披露を行った。この玉殿は瑠璃
(るり)色の瓦で屋根を葺き、柱や壁には藻績(そうき、水草)の文様が描かれており、人々はこれを「玉(たま)
の宮」と呼んだという。
0767神護景雲01丁未08月16日
天平神護から神護景雲に改元

0767神護景雲01丁未08月18日

天台宗の開祖最澄生誕
0768神護景雲02戊申09月07日
嵯峨天皇生誕(神野親王)(天皇(52代), 三筆の一人)[842年歿]
0769神護景雲03己酉09月25日
道鏡の皇位への野望を宇佐八幡の神託で退けた和氣清麻呂が、稱徳天皇の怒りを買い大隅国へ配流され
る。
0770神護景雲04庚戌08月04日
稱徳天皇/孝謙天皇崩御(阿倍内親王, 高野姫)(天皇(46, 48代))<53歳>
白壁王(光仁天皇)が立太子
0770神護景雲04庚戌08月21日
皇太子白壁王(光仁天皇)は令旨(りょうじ、命令)を下し、稱徳天皇の寵愛を受けていた道鏡法師を造下野国
薬師寺別当に左遷し、即日出発を命じた。また道鏡に取り入り、彼を皇位につけよ、という偽の神託をお膳立て
した中臣習宜阿曾麻呂(なかとみのすげのあそまろ)を種子島守に左遷する。
0770神護景雲04庚戌08月22日
道鏡の弟弓削浄人らを土佐に配流した。
0770神護景雲04庚戌09月06日
大隅国へ配流されていた和氣清麻呂が、稱徳天皇崩御・道鏡失脚に伴い都に召還
0770神護景雲04庚戌10月01日
瑞亀献上により神護景雲から宝龜[ほうき]に改元。天智天皇の孫・白壁王が即位し第49代天皇・光仁天皇にな
0770宝亀01庚戌10月08日
右大臣吉備真備、致仕(引退)を乞う。
0770宝亀01庚戌
光仁天皇が、父志貴親王を「春日宮天皇」と追尊する
0773宝亀04癸丑01月02日
山部皇子(桓武天皇)立太子
0774宝亀05甲寅
空海生誕
0774宝亀05甲寅08月15日
安殿(平城天皇)生誕

0775宝亀06乙卯年03月14日

中将姫没

0775宝亀06乙卯04月27日

井上内親王(光仁天皇皇后)幽閉先の五條市で崩御

0776宝亀07丙辰11月26日

陸奥の軍三千人を発し胆沢(岩手県見水沢市)の賊を討たせる。
0781宝亀12辛酉01月01日
美雲の瑞祥により宝亀から天應[てんおう]に改元
0781天応01辛酉04月03日
第49代光仁天皇が病気のため退位し、山部親王が即位し第50代天皇・桓武天皇となる
0781天応01辛酉07月07日
記録に残る富士山の最古の噴火
0781天応01辛酉08月21日
孝謙天皇(称徳天皇)の信認を得て権力を振るっていた道鏡が、稱徳天皇崩御により失脚し下野・薬師寺別当
に配流
0782年天応02壬戌08月19日 天応から延暦に改元
0782天応01壬戌12月23日
光仁天皇崩御(白壁王, 天宗高紹天皇)(天皇(49代))<数え74歳>
0782天応01壬戌01月16日
従5位下の氷上真人川継(ひかみのまひとかわつぐ)が因幡守に任じられる。
0782天応01壬戌閏01月11日
因幡守に任じられた氷上真人川継(ひかみのまひとかわつぐ)が謀反。発覚し逃走。
0782天応01壬戌閏01月13日
地震発生(どの程度かは不明)
0782天応01壬戌閏01月13日
因幡守に任じられた氷上真人川継(ひかみのまひとかわつぐ)が葛上郡で捕らえられる。死罪は免れ、伊豆国
三嶋(伊豆諸島)に流罪となる。
0782天応01壬戌閏01月13日
地震(程度は不明)
0782天応01壬戌02月19日
地震(程度は不明)
0782天応01壬戌08月19日
天応から延暦[えんりゃく]に改元。806年に大同に改元
0783延暦02癸亥11月01日
日食
0784延暦03甲子11月11日
桓武天皇が平城京から長岡京に移る(長岡京遷都)
0785延暦04乙丑08月28日
大伴家持歿。歌人,で『万葉集』の撰者<数え68歳>
0785延暦04乙丑09月23日
夜、長岡京遷都責任者藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が至近距離から弓で射られ重体。
この日、桓武天皇は平城京に行幸していた
0785延暦04乙丑09月24日
長岡京遷都責任者、藤原種継(ふじわらのたねつぐ)は前日の事件による怪我で死亡。
平城宮で知らせを受けた桓武天皇は、急遽長岡京へ戻り、責任者探索を始める。
大伴継人(おおとものつぐひと)、大伴竹良(おおとものちくら)らが捕らわれ、犯人として即日処刑された。また首
謀者として故大伴家持(おおとものやかもち)は官位を剥奪され、その子大伴永主(おおとものながぬし)は隠岐
に流された。
0785延暦04乙丑11月25日
第51代平城天皇立太子
0786延暦05丙寅
大伴(淳和天皇)生誕
0786延暦05丙寅09月07日
神野(嵯峨天皇)生誕
0791延暦10辛未09月16日
平城宮の諸門を長岡宮に移転
この時点で遷都からすでに7年経過していることは、長岡遷都の難易度を物語っている。
0793延暦12癸酉01月15日
遷都予定の平安宮の調査が行われる
0794延暦13甲戌06月13日
桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂が蝦夷征討に出発
0794延暦13甲戌10月22日
平安遷都。桓武天皇が長岡京から山背国の新都(平安京)に入京
0794延暦13甲戌11月08日
桓武天皇が、山背国を山城国と改め、新京を「平安京」と称する詔を発布
0795延暦14乙亥
平安宮の大極殿などが完成
0797延暦16丁丑2月13日
菅野眞道、藤原繼繩らによる『続日本紀』全40巻が完成
0797延暦16丁丑11月05日
坂上田村麻呂が蝦夷地征伐の為の征夷大将軍に任ぜられる
0798延暦17戊寅7月2日
坂上田村麻呂が平安京に清水寺を建立
0800延暦19庚辰03月14日
富士山が大噴火。1か月近く続く