07世紀

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07世紀の出来事
0601推古天皇09辛酉11月05日
新羅を攻める軍議
0602推古天皇10壬戌年02月01日
来目皇子を新羅攻略の将軍とし軍兵25000人が授けられる。

0602推古天皇10壬戌年04月01日

来目皇子が筑紫に向け出発

0602推古天皇10壬戌年06月03日

来目皇子は病気となり征討の役を果たせなくなる。

0602推古天皇10壬戌年

中国の玄奘三蔵生誕
0603推古天皇11癸亥02月04日
来目皇子が薨去(後に河内の埴生山に葬られる)
0603推古天皇11癸亥04月1日
来目皇子の兄当麻皇子(たいまのみこ)を新羅征討将軍とする。
0603推古天皇11癸亥07月01日
当麻皇子が難波を出発したが播磨で同行していた妻が薨じ引き返してしまい征討は中止される。
0603推古天皇11癸亥10月04日
推古天皇が小墾田宮へ移る(奈良県明日香村)
0603推古天皇11癸亥11月1日
秦河勝が聖徳太子から仏像を受け京都・太秦に蜂岡寺(広隆寺)を造営
0603推古天皇11癸亥12月5日
冠位を施工
大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智、の12階。階毎に色が決まっていた。
0604推古天皇12甲子01月01日
諸臣に冠位を授けられ位付けされる。
0604推古天皇12甲子04月03日
聖徳太子が憲法17条を発表
0605推古天皇13乙丑04月01日
推古天皇が丈6尺の仏像を作ると詔(飛鳥大仏)
0606推古天皇14丙寅05月05日
飛鳥大仏を作った鞍作鳥仏師に大仁の位と水田20町を与えられる。
0606推古天皇14丙寅07月
推古天皇の命により聖徳太子が勝鬘経の講義を3日間にわたって行う
0607推古天皇15丁卯07月03日
小野妹子が、隋の皇帝に宛てた「日出づる處の天子、日没する處の天子に致す。恙なきや」の国書を持参 し
て出発
0608推古天皇16戊辰04月
隋からの客を同行して小野妹子帰国
0608推古天皇16戊辰09月05日
小野妹子は隋からの客に同行し大使として再び隋へ
0609推古天皇17己巳09月
小野妹子帰国
0612推古天皇20戊辰02月20日
欽明天皇の妃、推古天皇の母でもあった蘇我堅塩媛を桧隈大陵に葬る
0612推古天皇20戊辰
推古天皇の母の堅塩姫を欽明天皇稜(檜隈坂合陵)に合葬する。
0613推古天皇21癸酉9月15日
聖徳太子が『維摩経義琉[ゆいまきょうぎしょ]』を著す
0620推古28庚辰
この年、聖徳太子は自分の墓所を造営する(大阪府南河内郡太子町叡福寺)
0620推古28庚辰10月
欽明稜(檜隈坂合陵)で欽明天皇と堅塩姫を祀る大柱の儀式が行われた。
0620推古28庚辰12月01日
聖徳太子蘇我馬子らとともに『天皇記』『国記』を編纂
0621推古29辛巳年02月05日
聖徳太子が薨去
0626推古34丙戌年05月20日
蘇我馬子没
0626推古天皇34丙戌
葛城皇子(天智天皇)生誕
0626推古天皇34丙戌05月20日
大臣蘇我馬子歿 。桃原墓に葬られる(現在の石舞台といわれている)。
年齢は76歳だと思われる
0628推古天皇36戊子03月02日
皆既日食(日本書紀)
0628推古天皇36戊子03月07日
第33代推古天皇が崩御(75歳)
0628推古天皇36戊子09月24日
推古天皇を竹田皇子陵に追葬する。
0629舒明天皇01己丑01月04日
田村皇子が即位し第34代天皇 舒明天皇となる
0630舒明天皇02庚寅08月05日
犬上御田鍬・藥師惠日を第1回遣唐使として唐に派遣される。
0630舒明天皇02庚寅10月02日
舒明天皇が都を岡本宮に移す
0630舒明天皇02庚寅10月04日
第1回遣唐使が帰国
0634舒明天皇06甲午
伝説による役小角(役行者)の生誕
0634舒明06甲午08月
南の空に彗星が現れる。
0635舒明07乙未03月
彗星は廻って東の空に見える
0635舒明07乙未07月
剣池に1本の茎に二つの花が咲く蓮があった。
0636舒明天皇08丙申
干ばつで国中の人が飢える
0636舒明天皇08丙申01月01日
日食
0636舒明天皇08丙申05月
洪水災害
0636舒明天皇08丙申06月
岡本宮が火災
0638舒明天皇10戊戌07月19日
大風で立木や家を壊す
0639舒明天皇11己亥01月12日
空に雲がないのに雷が鳴る
0639舒明天皇11己亥12月14日
舒明天皇が伊予温湯宮(愛媛県松山市の道後温泉)へ行幸。
0639舒明天皇11己亥12月14日
百済川(曽我川)(奈良県広陵町)に九重の塔を建てる(百済寺)
 
0641舒明天皇13辛丑3月15日
蘇我石川麻呂の発願による山田寺(浄土寺)の造営が始まる。
0641舒明天皇13辛丑10月09日
第34代 舒明天皇崩御(49歳)。
0642皇極天皇01壬寅01月15日
舒明天皇の皇后・寶皇女が即位し第35代天皇・皇極天皇に
0642皇極天皇01壬寅09月19日
皇極天皇蘇我蝦夷に板蓋宮を造ることを命じる
0642皇極天皇01壬寅09月21日
越(こし)の国の辺境に住む蝦夷数千人が大和政権に帰順
0642皇極天皇01壬寅12月13日
舒明天皇の喪葬の儀が行われる。皇極はこの日に豊浦宮から小墾田宮に移る
0642皇極天皇01壬寅12月21日
舒明天皇を滑谷岡 (なめはざまのおか)に奉葬する。
0642皇極天皇01壬寅
この年蝦夷は今木(御所市東南)に双墓を造り大きい方を自分の墓とし小さい方を入鹿の墓とした。このとき使
役した部民が聖徳太子養育のため定められた部民であったため上宮大娘姫(過密宮のいらつめ)(聖徳太子
の母)は怒る
0643皇極天皇02癸卯04月28日
皇極天皇が飛鳥板蓋宮に都を移す
0643皇極天皇02癸卯05月16日
月食
0643皇極天皇02癸卯09月06日
舒明天皇を押坂陵に改葬する。
0643皇極天皇02癸卯09月11日
吉備姫薨去(皇極孝徳の母)
0643皇極天皇02癸卯09月17日
吉備姫の葬儀
0643皇極天皇02癸卯10月06日
蘇我蝦夷が自分の子である入鹿に勝手に紫冠を授け大臣としてしまう。
0643皇極天皇02癸卯10月12日
蘇我入鹿が独断で上宮(山背大兄王)を配して古人大兄(舒明天皇の皇子)を天皇にしようとする。
0643皇極天皇02癸卯11月01日
天皇位を争って敗れた聖徳太子の子・山背大兄王を蘇我入鹿が急襲する。一時は生駒に逃れるが、再び斑
鳩に戻った所を包囲され自害。
0644皇極天皇03甲辰11月
蘇我蝦夷が甘樫丘に息子と自分の家を建てる。蝦夷の家を上宮門(かみのみかど)、入鹿の家を谷宮門(はざ
まのみかど)と呼んだ
0645皇極天皇04乙巳
この年、鸕野讃良皇女(後の持統天皇)生誕
0645皇極天皇04乙巳06月08日
蘇我倉山田石川麻呂が、中大兄、中臣鎌足らから蘇我入鹿殺害を打ち明けられ同意。
0645皇極天皇04乙巳06月12日
三韓の調べを貢ぐ日
中大兄らが蘇我入鹿を宮の大極殿で殺害する(いわゆる大化の改新)
0645皇極天皇04乙巳06月13日
蘇我入鹿の父蝦夷が自分の屋敷に火をかけ自害。
0645皇極天皇04乙巳06月14日
皇極天皇が退位。
葛城皇子(天智天皇)が立太子
皇極天皇の弟、軽(孝徳天皇)が即位
0645皇極天皇04乙巳06月19日
大化の改新で蘇我氏を倒した中大兄皇子が、日本初の元号「大化」[たいか/たいくわ]を定めました。以来「平
成」まで247の元号が定められています。

650年に白雉に改元
0645皇極天皇04乙巳08月05日
鐘匱[しょうき]の制。朝廷が、国民の直訴を受附ける投書箱を設置
0645大化01乙巳08月08日
孝徳天皇が百済大寺に僧尼を集め仏教興隆の詔を発表
0645大化01乙巳09月12日
古人大兄の謀反発覚。古人は中大兄が差し向けた兵に討たれる。
0645大化01乙巳10月10日
第36代孝徳天皇崩御。59歳 
0645大化01乙巳12月09日
孝徳天皇が難波長柄豊碕宮に遷都
0646大化02丙午1月1日
「大化改新の詔」を発布。孝徳天皇、中大兄皇子(後の天智天皇)の下で政治の新体制が発足
0646大化02丙午3月22日
「薄葬令」発布。大規模な墓の建設や家来等を殉死させることが禁止 された
0648大化04戊申
伊賀(弘文天皇)生誕
0649大化05己酉03月24日
右大臣倉山田石川麻呂に謀反を計画していると石川麻呂の異母弟阿倍内麻呂が密告
0649大化05己酉03月25日
謀叛の疑いをかけられた右大臣蘇我石川麻呂が、中大兄皇子 (天智天皇)に攻められ難波から大和へ脱
出、氏寺である山田寺で自害
0650白雉01庚戌02月15日
宍戸国司からの白い雉の献上により大化白雉に改元。654年の孝徳天皇崩御まで使用
0654白雉05甲寅10月10日
第36代孝徳天皇崩御 これ以降元号の使用を なぜか中断する
0655斉明01乙卯01月03日
皇極天皇が板蓋宮で再び即位し第37代天皇・斉明天皇に なる
0656斉明天皇02丙辰
斉明天皇が多武峰(とうのみね)の頂上に周りを取り巻く垣を築き両槻宮を造営。
0657斉明03丁巳
13歳の鸕野讃良皇女(後の持統天皇)が大海人皇子(天武天皇)に嫁ぐ
0658斉明天皇04戊午11月09日
有馬皇子を謀反の疑いで逮捕・尋問。
有馬皇子は皇太子中大兄皇子を始め皇后にまで見捨てられ、難波宮に憤死された孝徳天皇の皇子で中大兄
天智天皇)にとっては邪魔な存在であった・・・というのが真相だろうか?
0658斉明天皇04戊午11月11日
蘇我赤兄の謀略により謀叛の疑いで捕えられた有馬皇子が紀伊・藤白坂で処刑
0658斉明天皇04戊午07月03日
坂合部石布(さかいべのいわしき)、津守吉祥(つもりのきさ)を遣唐使として唐に派遣
0659斉明05己午10月30日
この年07月03日に出発した遣唐使、坂合部石布と津守吉祥が唐の皇帝(高宗皇帝)に謁見。
行程は出発して4ヶ月かかった事になる
0661斉明天皇07辛酉以下不詳
安閉皇女(元明天皇)生誕
0661斉明天皇07辛酉01月06日
斉明天皇は百済級援軍を率いて出航。
0661斉明天皇07辛酉01月14日
斉明天皇らが百斉救援軍を見送る為に伊予・熱田津[にぎたつ]に宿泊。額田王が「熱田津に船乗せむと月待
てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」と詠む
0661斉明天皇07辛酉01月08日
大伯皇女生誕(母は太田皇女)
0661斉明天皇07辛酉03月25日
01月06日に難波を出航した斉明天皇が娜大津(なのおおつ、博多)に到着

0661斉明天皇07辛酉07月24日

皇極天皇/斉明天皇崩御。(寳皇女, 天豐財重日足姫尊)(天皇(35, 37代))<68歳>
崩御により中大兄皇子が天皇を称制
0663天智天皇02癸亥
大津皇子生誕(母は太田皇女)
0663天智天皇02癸亥08月27日
白村江[はくすきのえ(はくそんこう)]の戦い。百済の遺民およびこれを支援する日本軍と、百済を滅ぼした唐・
新羅軍との戦い。日本側が敗北 する
0664天智天皇03甲子02月09日
「甲子の改革令」発布。26階の新しい冠位を制定

0664天智天皇03甲子年

玄奘三蔵歿
0667天智天皇6己卯3月19日
中大兄皇子(後の天智天皇)が近江・大津京に遷都
0668天智天皇07庚辰
太田皇女歿
0668天智天皇07庚辰01月03日
大化改新後、皇太子として政治の実権を握っていた中大兄皇子が即位。第38代天皇・天智天皇
0668天智天皇07庚辰02月27日
太田皇女を斉明陵に合装する

0669天智08己巳年05月05日

中臣鎌足が天皇のお供の狩の最中に落馬骨折。

0669天智08己巳年10月10日

天智天皇は自ら中臣鎌足を見舞う

0669天智08己巳年10月15日

臨終に際して中臣鎌足が天智天皇から藤原の姓を賜る

0669天智天皇08己巳10月16日

藤原鎌足死去

0670天智09庚午年04月30日

法隆寺が落雷により全焼

0671天智10辛未年04月25日

漏刻(水時計)と鐘鼓による時報を開始

0671天智10辛未年10月

大友皇子(弘文天皇)立太子
0671天智天皇10辛未11月10日
唐使など二千人が47隻の舟で来朝。
人数があまり多数のためにこのまま行ったら日本側が驚いて侵攻軍と間違えて迎撃するだろう、ということでま
ず4人が先行して大船団が来ることを告げに来たという。一行は翌年5月に帰国とあるが、大半は日本への亡
命希望者だと思われます。
0671天智10辛未12月03日
天智天皇崩御(中大兄皇子, 天命開別尊)(天皇(38代))<46歳>
0671天智10辛未12月05日
弘文天皇即位
0672天武天皇01壬申06月24日
出家・隠棲していた大海人皇子(後の天武天皇)が弘文天皇を討つ為に吉野を出発。いわゆる壬申の乱の始り
0672天武天皇01壬申07月21日
壬申の乱。瀬田川の戦い。大海人皇子の軍と弘文天皇(大友皇子)の近江朝廷軍が瀬田川で戦闘。
0672天武天皇01壬申07月23日
弘文天皇崩御(大友皇子)(天皇(39代))<25歳>壬申の乱で破れ自害
0673天武02癸酉02月23日
大海人皇子(天武天皇)が立太子
0673天武天皇02癸酉02月27日
大海人皇子が即位し第40代天皇・天武天皇となる
0675天武天皇04乙亥1月5日
天武天皇が、天文を観察し吉凶を占う為の日本初の占星台を設置
0675天武天皇04乙亥04月17日
 狩漁(罠や落とし穴、武器を用いた仕掛け設置)と食肉(牛・馬・犬・猿・鶏)の制限を命ず。
0676天武天皇05丙子05月07日
下野(しもつけ)(現在の栃木県)は前年凶作であったと思われる。この日下野から民衆が自分の子を売ること
に許可を求めてきている。・・・・許可は下りなかった。
0676天武天皇05丙子10月03日
神に新穀を捧げる相嘗[あいなめ]祭を初めて挙行
0677天武天皇06丁丑11月01日
筑紫大宰(つくしのおおみこともち、後の大宰府)から赤烏が献上された
0678天武天皇07己卯12月4日
蘇我石川麻呂の発願による飛鳥・山田寺の金銅丈六仏が鋳造される
0680天武天皇09庚辰
飛鳥寺を官寺に入れる
0680天武天皇09庚辰11月12日
天武天皇が皇后の病気恢復を祈り薬師寺の造営を発願。
0681天武天皇10辛巳
橘寺が失火により十房を失う
0681天武天皇10辛巳02月25日
天武天皇が律令の制定を命ずる。
0681天武天皇10辛巳03月17日
天武天皇が川島皇子と忍壁皇子に帝記の編纂を命ずる
0683天武天皇12癸未
珂瑠皇子生誕。(文武天皇
0684天武天皇13甲申10月01日
「八色の姓[やくさのかばね]」を制定。真人[まひと]・朝臣[あそみ]・宿禰[すくね]・忌寸[いみき]・道師[みちのし]・
臣[おみ]・連[むらじ]・稲置[いなぎ]の8種
0684天武天皇13甲申10月14日
白鳳南海地震
亥の刻(午後十時頃)、大地震が発生した。国中で人々が泣き叫んで逃げまどい、山は崩れ川が湧いた
0684天武天皇13甲申11月21日
流星が雨のように降った
0684天武天皇13甲申11月23日
再び流星が降った。
0685天武天皇14乙酉09月10日
伊勢神宮が、20年ごとに社殿を新しくする「式年遷宮の制」を定めた。この制度は現在も継続中です。
0686朱鳥01丙戌07月20日
白雉から朱鳥に改元。 同年9月9日の天武天皇崩御まで使用することになる。
天武の都に飛鳥浄御原宮の名称が定められた
0686朱鳥01丙戌01年09月09日
天武天皇が崩御(大海人皇子, 天渟中原瀛真人)(天皇(第40代))、天武天皇崩御により皇后・{盧鳥}野讃良[うの
のさらら]皇女が政務を行う (後の持統天皇)こととなった
0686朱鳥01丙戌10月01日
大津皇子が謀叛の疑いで皇太子・草壁皇子に捕えられる。
0686朱鳥01丙戌10月04日
捕らえられていた大津皇子が自害
0690持統天皇04庚寅01月01日
天武天皇の皇后盧鳥}野讃良 皇女が即位し第41代持統天皇となる
0694持統天皇08甲午12月06日
持統天皇が飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都
0697持統天皇11丁酉02月16日
持統天皇が孫の珂瑠皇子に譲位。第42代天皇(文武天皇) となる
0697文武天皇01丁酉08月01日
持統天皇が孫の珂瑠皇子に譲位。 第42代文武天皇となる。
0698文武天皇02戊戌07月01日
日食
0698文武天皇02戊戌10月04日
藤原京に天武天皇の発願による薬師寺が建立
0699文武天皇03己亥05月24日
修験道の開祖・役行者(役小角)が弟子の讒言により伊豆に流罪となる