16世紀

16世紀の出来事
1501文亀01辛酉02月29日
明応から文亀に改元
1502文亀02壬戌

1504永正01甲子02月30日
文亀から永正に改元

1506永正03丙寅

橘寺が放火により昔の面影をなくす

1506永正03丙寅08月08日

雪舟歿 87歳

1508永正05戊辰

上泉信綱生誕
1510永正07庚午年
織田信秀(信長の父)生誕

1511永正08辛未08月14日

足利義澄歿(室町幕府将軍(11代))<数え31歳>

1517永正14丁丑05月29日

方仁(正親町天皇)生誕
1519永正16己卯年
甲斐の躑躅ケ崎館が築城される

1521永正18辛巳08月23日

永正から大永[だいえい]に改元 
1521大永01辛巳年11月03日
武田晴信生誕
1522大永02壬午
柴田勝家生誕
1525大永05乙酉年02月02日
清洲の織田信長が上野城を攻めるが失敗し退去(内藤侯平藩史料)
1526大永06丙戌04月07日
第104代後柏原天皇崩御 63歳
1526大永06丙戌04月29日
知仁親王が第105代後奈良天皇として即位
1527大永07丁亥06月10日
斉藤義龍(道三長男)生誕
1528大永08戊子0820
大永から享禄[きょうろく/きやうろく]に改元 1532年に天文に改元
1532享禄05壬辰0729
享禄から天文[てんぶん]に改元 1555年に弘治に改元
1534天文03甲午05月12日
織田信長生誕。幼名は吉法師。
1536天文05丙寅07月27日
天文法華の乱。法華宗と対立する延暦寺衆徒が京都の法華一揆を破り21の寺院を焼く
1536天文05丙寅
南光坊天海生誕
1537天文06丁卯年02月06日
豊臣秀吉生誕
1541天文10辛丑06月14日
武田晴信(後の信玄)が父・信虎を甲斐から追放
1542天文11壬寅09月25日
武田晴信(後の信玄)が諏訪頼継を高遠城で破り所領を支配
1542天文11壬寅12月26日
松平竹千代(徳川家康)生誕
1543天文12癸兎02月01日
顕如生誕
1543天文12癸卯08月25日
ポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲が日本に伝来(1542年説あり)
1545天文14乙巳
山内一豊生誕
1546天文15丙午04月20日
北條氏綱が上杉の居城川越城を夜襲し勝利
1546天文15丙午12月20日
足利義輝が室町幕府13代将軍に就任
1547天文15丁未
お市の方生誕
1548天文17戊申12月30日
長尾景虎(後の上杉謙信)が兄に代って家督を継ぎ越後・春日山城に入城
1549天文18己酉02月24日
美濃の斎藤道三の娘「濃姫」が、尾張の信長に嫁ぐ。濃姫15歳、信長16歳
1549天文18己酉07月03日
フランシスコ・ザビエルが乗った船が鹿児島に到着。7月22日(新暦8月15日)に上陸
1549天文18己酉11月27日
三河の松平領が今川義元の支配下となり、竹千代(後の徳川家康)が今川の人質として駿府へ出立
1551天文20辛亥年03月03日
織田信秀(信秀の父)(42)病死
1553天文23癸丑04月下旬
斉藤道三が信長に正徳寺での会見を要請。
1553天文22癸丑
大友宗麟が家臣一万田親実の妻を奪い、親実は無実の罪で殺される。
1555弘治天文24乙卯0213
阿茶局生誕
1555弘治天文24乙卯1001
巌島の合戦。毛利元就軍が陶晴賢軍を破る。陶晴賢(35歳)は自害
1555天文24乙卯1023
天文から弘治[こうじ/こうぢ]に改元
1556弘治02丙辰年01月06日
藤堂高虎生誕。近江国犬上郡藤堂村、父は藤堂源助虎高。
1556弘治02丙辰04月20日
齋藤道三が、子の義龍と長良川で戦い敗死
1557弘治03丁巳01月15日
松平竹千代(徳川家康)が鶴姫(築山殿)と婚姻
1557弘治03丁巳04月02日
大内義長が毛利元就に攻められ自害。大内氏が滅亡
1557弘治03丁巳09月05日
後奈良天皇崩御 62歳
1557弘治03丁巳11月02日
織田信長が弟の信行を謀叛の疑いで謀殺
1558弘治04戊午0228
弘治から永禄に改元
1559永禄02己未02月02日
織田信長が入京し将軍・足利義輝に謁見
1559-己未-永禄02年04月27日
越後の長尾景虎(後の上杉謙信)が大軍を率いて入京し、将軍足利義輝に謁見
1560永禄03庚申年05月12日
今川義元は25000の大軍を率いて駿府を出発。
1560永禄03庚申年05月19日
桶狭間の戦い。織田信長が桶狭間山附近の田楽狭間で休憩中の今川義元を急襲し討ち取る

1561永禄04辛酉

福島正則生誕
1561永禄04辛酉0511
斉藤義龍(道三長男)没
1561永禄04辛酉0910
武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いで一番の激戦だった日

1562永禄05壬戌年

肥前日之江の藩主が宣教師アルメイダと接触。以降島原半島は切支丹王国となる。

1562永禄05壬戌年1月

織田信長と松平竹千代徳川家康が同盟を結ぶ。(清須同盟

1562永禄05壬戌年06月24日

加藤清正生誕
1563永禄06癸亥
信長が清須から小牧山へ移転。
ルイスフロイス(32)が長崎上陸
1563永禄06癸亥年07月06日
松平元康(竹千代)が今川氏と絶縁して家康に改名
1564永禄07甲子年02月
松平家康(徳川家康)が三河一国を征服
1564永禄07甲子年03月16日
長尾景虎が上杉憲政の譲を受けて関東管領となり上杉景虎と改名。後の上杉謙信
1564永禄07甲子年08月15日
水野勝成生誕
1565永禄07甲子12月29日
ルイス・フロイスが京都に入る 33歳
1565永禄08乙丑年05月19日
三好義継・松永久秀らに室町第を襲われた室町幕府13代将軍足利義輝が自害
1566永禄09丙寅11月19日
毛利元就が富田月山城の尼子義久を下す。尼子氏が滅亡
1566永禄09丙寅12月29日
松平家康が徳川姓を朝廷から許され徳川家康と改名。従五位下三河守の官位を授与される
1567永禄10丁卯08月03日
伊達政宗生誕
米沢城主(山形県米沢市)伊達輝宗(てるむね)の長男として米沢城に生まれる。義姫は、米沢から近い亀岡
文殊堂(山形県東置賜郡)に住む長海(ちょうかい)上人に命じて、文武の才と忠孝のある男子の誕生を湯殿
山(ゆどのさん)で祈らせた。 長海は祈願の証拠として、湯殿山の湯に浸した幣束(へいそく)を持ち帰り、これ
を義姫の寝所の屋根に安置させた。
その夜、義姫の枕元に白髪の僧が現れ、宿を胎内に借りたいという。義姫は、夫の許しを請う事を約束し、朝
を迎える。これを聞いた輝宗は喜び、再び僧が現れれば許すように命じる。
翌晩、老僧が現れ、その願いを容れると、老僧は幣束を義姫に授け、「これを胎育したまえ」と言って去る。
この後、義姫は懐妊し、無事に男子(政宗)を出産する。この幣束を修験道では「梵天(ぼんてん)」と呼び、神
の宿る倉、神のよりしろである幣束を胎育するということは、神を胎育するということ考えられ、喜ばれる。これ
により、伊達政宗の幼名は、「梵天丸(ぼんてんまる)」と名付けられる。
1567永禄10丁卯08月15日
織田信長が斎藤龍興の居城・稲葉山城を攻略し岐阜城と改称。初めて「岐阜」の名が登場
1567永禄10丁卯10月10日
松永弾正(松永久秀)(まつながだんじょうひさひで)、東大寺を焼き討ち、大仏殿炎上。

1568永禄11戊辰年07月25日

将軍・足利義昭が、織田信長を頼って美濃に入る

1568永禄11戊辰年09月07日

織田信長が足利義昭を擁し尾張・美濃の兵を率いて京へ向けて岐阜を出発

1568永禄11戊辰年09月13日

信長が、観音寺城の支城箕作城を落すと観音寺城は無血開城。

1568永禄11戊辰年09月26日

岐阜城を出発した織田信長が足利義昭を奉じて京都に入る

1568永禄11戊辰年10月18日

織田信長に支援された足利義昭が室町幕府第15代将軍に就任

1568永禄11戊辰年12月12日

武田信玄が駿府の今川氏眞を攻撃

1569永禄12己巳年1月11日

武田信玄と交戦中の上杉謙信が、武田方の領民が今川氏によって塩を絶たれていることを知り、この日、越
後の塩を送ったとされている。この話が、「敵に塩を送る」という言葉のもととなったといわれている。

1569永禄12己巳年4月8日

織田信長が宣教師ルイス・フロイスと二条城の建設現場で会い京都居住を認める  信長36歳 フロイス38歳

1569永禄12己巳年10月4日

織田信長が伊勢を平定

1569永禄12己巳年

淀君(浅井茶々)生誕

1570永禄13年庚午01月23日

織田信長が足利義昭に五箇条の意見書を提出

1570元亀01庚午年03

大友宗麟軍6万が龍造寺領に侵攻開始

1570永禄13年庚午04月20日

織田信長と徳川家康連合軍が、越前の朝倉義景討伐のため3万騎で京都を発つ

1570元亀01年庚午0423

永禄から元亀に改元

1570元亀01庚午年04月25日

織田徳川連合軍3万は敦賀を攻め手筒山城を抜く

1570元亀01庚午年04月26日

織田徳川連合軍3万は敦賀金ケ崎城を落す

1570元亀01年庚午04月30日

越前の朝倉義景討伐中の織田信長が、近江の浅井長政の離叛のため越前から撤退

1570元亀01庚午年05月21日

信長は反信長一色の近江を通過して岐阜に帰着

1570元亀01年庚午06月28日

姉川の戦い。織田信長・徳川家康聯合軍が浅井長政・朝倉義景聯合軍を破る

1570元亀01年庚午09月12日

本願寺顯如が諸国の門徒に呼びかけて挙兵し織田信長の陣営を襲撃。10年に及ぶ石山合戦が始る

1571元亀01年0庚午6月14日

毛利元就歿(1497年3月14日誕)

1570元亀01庚午年06月19日

信長が浅井討伐のため2万で岐阜を出発

1570元亀01庚午年06月27日

家康軍5000が到着し信長と合流

1570元亀01庚午年06月28日

未明、徳川軍を先陣とした浅井攻撃開始

1571元亀02庚午年

高橋元種(後の延岡城主)生誕

1571元亀02庚午年09月12日

織田信長が、浅井長政・朝倉義景と繋りのあった延暦寺を焼き討ち (前年に襲撃を受けたのと同じ日にした
のはこの日と決めていたのか)
1570元亀01庚午年09月19日
龍造寺配下鍋島直茂が今山の大友軍本拠に夜襲、敵将大友親貞を打ち取り勝利。この戦いを期に大友杏葉
紋を竜造寺が使用するようになる。
1571元亀02庚午12月15日
周仁(後陽成天皇)生誕
1572元亀3辛未12月22日
徳川家康が武田信玄軍に大敗
三方ヶ原の戦い。武田信玄軍が徳川家康・織田信長軍を破る。家康は浜松城に敗走
1573元亀04癸酉0130
将軍・足利義昭が織田信長討伐の為に挙兵
1573元亀04癸酉0404
織田信長が、二條城の将軍・足利義昭を取り囲む
1573元亀04癸酉0407
04月04日に足利義昭を取り囲んだ信長が勅命により和睦
1573元亀04癸酉0412
武田晴信(信虎長男)没
1573元亀04癸酉0718
織田信長が将軍・足利義昭が立て蘢っていた宇治・槙島城を急襲。義昭は信長に降伏し京を追放される。室
町幕府が事実上滅亡
1573元亀04癸酉07月28日
元亀から天正[てんしょう/てんしやう]に改元

1573天正01癸酉0820

越前・一乗谷城の朝倉義景が、織田信長の攻撃と一族の謀叛により自決。朝倉氏が滅亡
1573天正01癸酉0827
織田信長が、妹・お市の方の嫁ぎ先である浅井長政の近江・小谷城を攻撃。長政は妻と娘を逃がした後に自
刃 する

1573天正01癸酉0828

淺井長政歿(戦国武将)<数え29歳>信長に攻められ自刃
1574天正02甲戌0112
織田信長が瀬戸の焼物窯を免許し他所の窯の停止を命令
1574天正02甲戌0402
石山本願寺の顯如が織田信長に反抗して挙兵
1574天正02甲戌0929
織田信長が長島の一向一揆制圧の為、願証寺を焼き払う。一揆討伐が本格化
1575天正03乙亥0521
長篠の戦い。三河・長篠の設楽原で信長・家康の鉄砲隊が武田勝頼の騎馬軍団を破る 。以後武田氏は衰退
することとなる。
1575天正03乙亥1128
信長は嫡男信忠に家督、領国、家宝の全てを譲ることを表明。
1576天正04丙子01月
近江安土が信長の新しい居城の地として選ばれ佐和山城主丹波長秀が普請工事を命じられ築城開始
1576天正04丙子02月
信長が安土に移り住む。
1576天正04丙子04月
近江各地の石工が集められ安土山山上主郭部分の石垣普請が始まる。
1576天正04丙子05月
信長が石山本願寺攻めのため出陣。自らも戦闘で手傷を負う。本願寺とは持久戦となる。
1576天正04丙子09月
足利義昭の居城であった二条城の門のいくつかが解体され安土城に移築するべく運ばれる。
1576天正04丙子07月13日
毛利輝元が、織田信長の水軍を破り石山本願寺に食料を送る
1576天正04丙子11月21日
織田信長が正三位内大臣となる。
1576_天正04年丙子
銅商人初代大阪屋久左衛門が摂津國西成郡北中嶋柴嶋村(現大阪市東淀川区)で生誕 (豪商大坂屋久左
衛門HP)
1577天正05丁丑01月16日
剣豪上泉伊勢守信綱が死亡
1577天正05丁丑02月13日
信長が紀伊雑賀・根来を攻めるため15万の兵を率いて出陣。
1577天正05丁丑02月28日
信長に攻められた中野城(現和歌山市)が降伏
1577天正05丁丑03月01日
信長軍が鈴木孫一構(弥勒寺山)を総攻撃
1577天正05丁丑03月02日
信長に攻めらた雑賀一揆の首謀者が降伏する
1577天正05丁丑06月?日
信長は安土城下の振興のため楽市楽座・諸役免除を掲げる。
1577天正05丁丑08月24日
安土城天主の柱建て
1577天正05丁丑10月10日
信長、本願寺と内応して自らに背いた松永弾正久秀父子を信貴山城に攻め滅ぼす。
1577天正05丁丑10月16日
信長、従二位に叙任
1577天正05丁丑10月23日
織田信長が羽柴秀吉に中国攻めを命ずる
1578天正06戊寅11月12日
日向縣は島津の領地となる
1577天正05丁丑1115
伊達政宗元服。藤次郎政宗と称す
1578天正06戊寅03月
信長軍が三木城を包囲して三木合戦開始
1578天正06戊寅0407
大友宗麟軍3万余りが日向縣(延岡)に侵攻、キリスト教布教のため寺社仏閣をすべて焼却
1578天正06年戊寅04月10日
大友軍、縣[延岡)松尾城攻略。やく650年続いた土持氏は滅亡。
1578天正06年戊寅09月06日
大友宗麟一行が海路縣に入り、宣教師とともに司祭館や教会を建てる。
1578天正06戊寅11月06日
織田信長の水軍が毛利氏と海戦。毛利水軍を破る
1578天正06戊寅年11月12日
日向耳川の戦い。大友氏は陸路豊後へ敗走。
1579天正07己卯0511
安土城の天守閣が完成。信長が岐阜から移り住む

1580天正08庚辰

佐久間盛政が一向一揆の拠点である金沢の尾山御坊に移り金沢城の造営を開始

1580天正08庚辰

ルイス・フロイスが来日したアレッサンドロ・ヴァリアーニの通訳として安土城で信長と謁見 信長47歳 フロイ
ス49歳

1580天正08庚辰0117

別所長治(23)歿 三木合戦終結

1580天正08庚辰閏0308

蓮如は信長との間に大阪退去という和睦を承諾。

1580天正08庚辰年04月28日

新免無二(宮本武蔵の父)歿

1581天正09辛巳

安井清右衛門が久宝寺屋敷地の支配を認められる

1582天正10壬午01月28日

九州のキリシタン大名、大友宗麟・有馬晴信・大村純忠がローマへの使節派遣(天正遣欧使節)を決定

1582天正10壬午03月11日

信長・家康の聯合軍に敗れた武田勝頼が自害し、甲斐武田家が滅亡

1582天正10壬午04月03日

織田信長が、武田の残党を匿っていた塩山恵林寺を焼打ち。快川禅師が「心頭滅却すれば火もまた涼し」と
言って炎で歿する

1582天正10壬午05月07日

毛利氏征討の豊臣秀吉が備中高松城を包囲し水攻め

1582天正10壬午06月02日

本能寺の変。明智光秀の謀反で信長は火災の中で自害。

1582天正10壬午06月03日

明智光秀が毛利氏に送った使者を秀吉が捕らえる。使者は秀吉軍を毛利軍と間違えた。
秀吉自身が変を知るのはこの日の夜

1582天正10壬午0604

明智光秀が安土城に入る。本能寺の変を知った徳川家康は急遽岡崎に戻る

1582天正10壬午0606

06月04日に備中高松城を開城させた秀吉は陣を引き払う

1582天正10壬午0611

羽柴秀吉 摂津尼崎に着陣

1582天正10壬午0613

山崎の合戦で羽柴秀吉が明智光秀を破る。光秀は敗走中に京都小栗栖で雑兵に刺殺される

1582天正10壬午0614

安土城炎上(出火原因不明)。

1582天正10壬午0627

清洲会議。織田信長の後継を決める会議が清洲城で開催。
信長の長男信忠の子・三法師(秀信)を擁した羽柴秀吉が実権を握る

1582天正10壬午0627

織田信長の後継を決める会議が清洲城で開催。信長の長男信忠の子・三法師(秀信)を擁した羽柴秀吉が実
権を握る

1582天正10壬午0708

太閤検地。羽柴秀吉が近江で初めて検地を行う
1582天正10壬午05月15日 安土城で信長が家康を招いて祝勝の宴。接待役は光秀であった。
1582天正10壬午06月02日 本能寺の変
1582天正10壬午10月11日
本能寺から100日。信長の大葬礼が京都総見院で行われる。
1583天正11癸未02月
秀吉により安土城内に信長廟が建立される。
1583天正11癸未04月21日
賤ケ岳の戦 秀吉が柴田勝家を破る。勝家は越前北ノ庄に敗走
1583天正11癸未04月22日
賤ケ岳の戦いで勝家側についていた前田利家が秀吉に降伏
1583天正11癸未04月24日
柴田勝家、妻お市の方が越前北ノ庄で自害
1583天正11癸未09月
秀吉の大坂築城が始まる。この時の秀吉の大阪城の天守閣石垣は現在の徳川大阪城の南45mの地下に眠
っている。
1584年天正12甲申03月
小牧長久手の戦い開始
1584天正12甲申0322
徳川家康が小牧山に築塁を完成
1584天正12甲申0409
小牧・長久手の戦
1584天正12甲申08月
秀吉が新築の大阪城城内御殿に移る。
1584天正12甲申11月
小牧長久手の戦い終結
1585天正13乙酉03月21日
羽柴秀吉が根来衆・雑賀衆の一揆を鎮圧
1585天正13乙酉07月11日
右大臣・羽柴秀吉が関白に就任し藤原氏に改姓
1585天正13乙酉07月16日
長曾我部元親が豊臣秀吉に降伏。秀吉が四国を平定
1586天正13乙酉年11月29日
天正大地震 M7.8 畿内・東海・東山・北陸諸道地震(理科年表)
1586天正14丙戌02月
京都聚楽第着工
1586年_天正14丙戌04月28日
豊臣秀吉の妹・朝日姫が徳川家康に嫁ぐ
1586年_天正14丙戌05月23日
蜂須賀正勝(小六)没
1586年_天正14丙戌10月20日
徳川家康が上洛し秀吉と主従関係を結ぶ。
1586年_天正14丙戌11月07日
第06代正親町天皇が退位し、周仁親王が第107代後陽成天皇として即位

1586年_天正14丙戌12月19日

関白秀吉が太政大臣に任ぜられ、朝廷から豊臣姓を賜る
1587年_天正15丁亥05月06日
大友宗麟歿
1587年天正15丁亥05月08日
島津義久が降伏し豊臣秀吉が九州を平定
1587天正15丁亥年06月16日
酒井忠勝生誕(小浜藩主)
1587年天正15丁亥06月18日
豊臣秀吉が伴天連追放令発布
1587天正15丁亥09月13日
京都聚楽第が完成し、豊臣秀吉が大坂城から京都聚楽第に移る
1587天正15丁亥10月1日
北野大茶会。豊臣秀吉が京都・北野天満宮の境内で千利休・津田宗久を茶頭に一千人の大茶会を開く
1587天正15丁亥
秀吉が宣教師追放令発布、有馬晴信は肥前日野江4万石安堵、
1587天正15丁亥0905
九州平定の恩賞で福島正則は伊予今治11万石を拝領

1588天正16戊子7月8日

刀狩令。豊臣秀吉が全国百姓の刀・鉄砲などを方広寺大仏殿建立の釘・かすがいにする為と称して没収
1588天正16戊子
蒲生氏郷が松坂城を築城

1589天正17己丑07月04日

豐臣秀吉が上杉景勝らに伊達正宗追討を命じる
1589天正17己丑
大谷吉継が越前敦賀城主となる
1590天正18庚寅02月
小田原征伐開始

1590天正18庚寅0403

豊臣秀吉の大軍が北條氏の蘢る小田原城を囲む

1590天正18庚寅0705

北條氏直が小田原城を開城して豊臣秀吉に降伏。秀吉の天下統一が完成

1590天正18庚寅0711

北條氏政(武将, 小田原城主)<数え53歳>小田原城開城の際、秀吉の命により自刃
1590天正18庚寅07月
小田原征伐終結

1590天正18庚寅0713

豊臣秀吉が徳川家康に関東8国を与える

1590天正18庚寅08月01日

関東移封により徳川家康が江戸城に入城

1590天正18庚寅09月14日

狩野永徳歿(日本画家)<数え48歳>

1591天正19辛卯0122

豊臣秀長没

1591天正19辛卯0821

豊臣秀吉が、奉公人・侍・中間[ちゅうげん]・小者・百姓の身分制度を定め転職を禁止
1592天正20壬辰0105
豊臣秀吉が、朝鮮を経て明へ出兵する為の出陣令を発布
1592天正20壬辰0326
豊臣秀吉が朝鮮出兵の指揮をとる為京都から肥前へ出発
1592天正20壬辰0412
朝鮮出兵 一番隊の小西行長らが釜山に上陸。文禄の役が始る
1592天正20壬辰0417
二番隊加藤清正、三番隊黒田長政、四番隊、五番隊福島正則が釜山上陸
1592天正20壬辰0419
六番隊の小早川隆景が釜山上陸
1592天正20壬辰0503
朝鮮出兵の一番隊、小西行長・加藤清正が漢城(現在のソウル)に入城
1592天正20壬辰1124
顯如歿 (浄土真宗の僧,織田信長に対し挙兵) <数え50歳>

1592天正20壬辰1208

天正から文禄に改元

1593文禄02癸巳

本願寺12代教如は、本願寺留守職を弟准如に譲り隠居
1593文禄02癸巳07月
文禄の役終結
1593文禄02癸巳01月05日
正親町天皇崩御(方仁親王)(天皇(106代))<数え77歳>
1593文禄02癸巳0803
豊臣秀頼生誕(大名, 豐臣秀吉の子)[1615年歿]
1593文禄02癸巳0805
今井宗久歿。(茶人, 豪商, 三大宗匠の一人)<数え74歳>

1594文禄03甲午

秀吉が晩年の居城として伏見桃山城を築城開始

1594文禄03甲午

鳥羽湾の橘氏の居館に九鬼嘉隆が鳥羽城を築城

1594文禄03甲午0107

土田御前(信長の生母)死去

1594文禄03甲午10

豊後國府内に早川長敏が都合6万石で入封

1594文禄03甲午0824

盗族・石川五右衛門とその親族が京都・三條河原で釜茹での刑に処せられる「石川や浜の真砂は尽きねども
世に盗人の種は尽きまじ」  (盗賊)<数え37歳>

1594文禄03甲午

織田信包は秀吉と不仲となり伊勢安濃津を没収された上剃髪謹慎を命じられる。

1595_文禄04甲午0207

蒲生氏郷歿

1595文禄04乙未

隠居していた本願寺教如が大坂渡部の地(大阪市東区道修町)に大谷本願寺を建立

1595文禄04乙未0715

関白豊臣秀次(28)が秀吉の命により切腹

596文禄05丙申

東本願寺の梵鐘完成(現在は南御堂にある)

1596文禄05丙申06月04日

政仁(後水尾天皇)生誕
1596慶長元丙申07月09日
豊後大地震。別府湾の被害甚大(藩史大事典)
1596文禄05丙申07月13日
京都・大坂などで大地震。豊臣秀吉の居城・伏見城などが倒潰
1596文禄05丙申09月01日
明からの国書の非礼に怒った豊臣秀吉が朝鮮再征を決意
1596文禄05丙申1027
文禄から慶長[けいちょう/けいちやう]に改元 1615年に元和に改元
1596慶長01丙申11月04日
服部半藏正成歿<数え55歳>
1596慶長01丙申12月19日
豊臣秀吉が宣教師6人と日本人信者20人を長崎で磔刑に(新暦1597/02/05)
1596慶長元年丙申
銅商初代大阪屋久左衛門(20)開業、水野勝成の庇護のもと福山藩新庄本郷鉱山で蓄財したものだと思われ
1597慶長02丁酉0411
千姫生誕
1597慶長02丁酉0524
ルイス・フロイス没 享年66
1597慶長2丁酉0828
足利義昭歿(室町幕府将軍(15代))<数え61歳>

1598慶長03戊戌

本願寺教如が現在の難波別院の地に移る(南御堂)
1598慶長03戊戌0315
醍醐の花見。豊臣秀吉が秀頼らと最後の花見
1598慶長03戊戌0805
豊臣秀吉の要請で徳川家康・前田利家ら五大名が豊臣氏と五奉行に忠誠を誓う。
1598慶長03戊戌0818
豊臣秀吉(木下藤吉郎, 羽柴秀吉、62)歿
1598慶長03戊戌0825
豊臣秀吉の死去に伴い、徳川家康ら五大老が朝鮮撤兵を決定し使者を朝鮮に派遣
1599慶長04己亥閏0303
前田利家歿   加藤清正、福島正則らが三成の大坂屋敷を襲撃 三成は佐竹義宣の助力を得て伏見城内の
自邸に逃れるが家康の仲裁で佐和山蟄居となる
1600慶長05庚子05月03日
家康が会津征伐を決める 先鋒は福島正則、細川忠興、加藤嘉明、伏見の留守居は鳥居元忠
1600慶長05庚子06月02日
関東の諸大名に会津征伐の陣触れが出される
1600慶長05庚子0616
家康が大阪を出陣
1600慶長05庚子0702
家康が江戸城に到着
1600慶長05庚子0711
石田三成が徳川家康追討を謀り大谷義継と会談
1600慶長05庚子0717
細川珠(我羅奢)自害。石田三成の使者が珠を人質とするために来訪したが拒否し自害。
1600慶長05庚子0721
家康、江戸城を出陣し会津に向かう
1600慶長05庚子0724
家康は三成の挙兵を知り反転西上三成討伐に向かう
1600慶長05庚子0915
関が原の合戦
1600慶長05庚子0927
家康は大坂城に入り秀頼と会い西の丸に入る
1600慶長05庚子1001
関が原の合戦で西軍の総大将だった石田三成(41歳)、小西行長が六条河原で斬首刑となる。
1600慶長05庚子1014
豊前小倉城を黒田孝高が攻め占拠