大坂屋本店

1837天保08丁酉05月発行 天保新改摂州大阪全図

大坂屋(大坂本店)は横堀川と長堀川が交差する四ツ橋付近に位置し、河川交通の便が良かった。(朱塗部分)
地図は現在利用されているものとは違い上が南で下が北であるので注意

 

長堀川と道頓堀川の間は南船場内でとくに島之内と呼ぶならわしであるが恐らくは難波八十島の一つが陸繋化した環濠の内という

意味であろう。

1622元和08壬戌成就の記録もある長堀川には、東に長堀橋がかかって堺筋を通し、西に心斎橋があって心斎橋筋を南下させるが

この長堀橋以東の岸を住友の浜、佐野屋橋以西の岸を大坂屋の浜と呼び、ともに同吹きの浜で、前者には泉屋(住友)吉左衛門が

寛永13年以来経営した鰻谷の吹所、後者には大坂屋久左衛門が経営した炭屋町の吹所があり、くしくも長堀川の東西両横堀との

屈折点に大阪の代表的銅精錬地帯が形成されていた。また長堀十丁目の浜は俗に石屋浜といい「長堀の石浜ハ山海の名石あるハ

御影石・立山・和泉石など諸国の名産をあつめ・・・」 とあり石問屋、石工の多く集まった浜である。『大阪古地図物語』引用

大坂屋の浜の隣が石屋の浜は隣り合っていた。秋田阿仁付近に大坂屋によって運ばれた高級墓石の赤御影はこの浜から搬出され

たものだろう。

現在は横堀川も長堀川も埋め立てられ当時を想像すらできないのだが、先日一枚の明治時代に描かれた絵を見つけた。
『明治・大正大阪百景』という絵画集の中の一枚だが描いた位置も方向の記載もないので確信はない、が、四ツ橋の北西側から
南東に向かって描かれた絵であれば対岸正面の屋敷群は大阪屋・・・・ということになるのだが・・・・はたして・・・。

『明治・大正大阪百景』野村廣太郎筆引用